アンティーク家具や西洋の文化、西洋美術に興味のある方なら「ロココ」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?
ロココの時代は、フランス王室のポンバドゥール夫人やマリーアントワネットを中心に芸術文化がもっとも華開いた時期です。
今回はロココの時代背景・美術・建築・家具についてどこよりも詳しく説明します。
ロココの特徴と生まれた背景は?
ロココ(Rococo)とは、18世紀のフランス・ルイ15世の時代に花開いた女性中心の美術様式です。晩年は陰りが見えますが、この美術様式はフランス革命(1789年)が起きる頃まで続きます。ロココの前にバロックがあり、ロココの後に、新古典主義が続きます。
ロココ様式の装飾は、曲線や渦巻き、花や植物などをモチーフにしたものが多く、軽やかで優美な印象です。また、白や金メッキなど華やかで明るい色彩も特徴的です。この様式はフランスからはじまり、ヨーロッパ中に影響を与えました。
この時代を主導したのは、フランスのポンバドゥール夫人。彼女は市民階級でありながら、その知恵と美貌でルイ15世の愛人にまで上り詰めた淑女です。詳しくは、後ほど解説します。
この時代は、一般的にマリーアントワネットを象徴するような「開放的」「上流階級的」「貴族風」な文化が見られました。
美術や工芸が大きく発展した時代ではありますが、後の時代からは軽薄で退廃的と評されます。
また、国の経済難や啓蒙主義思想の勃興と重なったことにより、その後のフランス革命(1789年)に繋がったと考えられています。
マリーアントワネットの「パンがないならケーキを食べればいい」という有名な台詞。実はそんなことは言っていない、という説もありますが、“貧困生活を送る市民と、贅沢な暮らしをする王族と貴族”の関係を的確に表した言葉となっています。
「ロココ」の語源は?
ロココという名称は、人工洞窟に貝殻や小石をはめ込んだ装飾デザイン「ロカイユ」に由来していいます。
当時は庭園に人工洞窟(グロッタ)をつくることが流行っていたの。もちろんヴェルサイユ宮殿にもあります。
元々は装飾デザインを指し示す言葉でしたが、その後、「ロココ」という言葉は建築や絵画、彫刻、美術、引いては、1710年から1760年頃の生活文化までを指す言葉として用いられるようになりました。
次からは、なぜこのような歴史上初めての女性中心の様式が誕生したのか、その理由を探っていきましょう。
ルイ14世の圧政が、ロココ芸術の種をまいた
ロココ様式が花開いたのはルイ15世の時代です。その予備知識として、フランスで最も有名な王様の一人であるルイ14世について簡単に見ていきましょう。
太陽王とも称されるルイ14世(1638年 – 1715年)。彼の時代に、フランス絶対王政が最盛期を迎えます。
「君主権は神から与えられたものであり、国民は絶対服従すべきだ」という考えの王権神授説を主張し、ルイ14世は絶対的な王様として君臨しました。
この頃、莫大な資金と強大な軍を持つフランスが世界の最先端であり、ヨーロッパ文化の中心になります。
後にルイ14世は、首都パリから20km離れた場所にヴェルサイユ宮殿を建設します。そして、貴族の力を抑えるために、貴族たちを宮殿に住まわせ中央集権化を計りました。
ヴェルサイユ宮殿は、バロック様式の代表的な建築物。貴族たちはこの宮殿内に住み、王の目の届く範囲で窮屈な生活を送ることになります。
この頃は、朝から晩まで王様のための儀式三昧でおかしな時代でした。
5歳で国王に即位したルイ15世が貴族を解放した
1715年にルイ14世が亡くなると、当時5歳だったルイ15世が王位に即位しました。5歳の子供に政治をする能力はありませんでしたので、オルレアン公フィリップ2世が摂政となり、王様の代わりに政治をつかさどることになります。
この頃をルレジャン(摂政)時代と言います。バロック様式からロココ様式に切り替わるいわゆる過渡期です。
この時代に宮廷が一時的にヴェルサイユ宮殿からパリに移され、ルイ14世とは大きく異なる政治が行われました。貴族はヴェルサイユ宮殿から開放され、それぞれの邸宅へと戻ることになります。
ルイ14世が亡くなって、これからルイ15世(本当は私)の時代がくるワケね。
ヴェルサイユ宮殿から解放された貴族たちは、自らの邸宅に戻り、パーティーやサロンを開いて客人をもてなすようになります。享楽的、貴族的な暮らしの始まりです。
この時代は、既に所有していた邸宅の内装を改築することが流行りだったそうです(今で言う、リノベーション)。それが、内装デザインを主としたロココ様式の誕生につながります。
ルイ15世の愛人、ポンパール夫人が文化を主導する時代
ルイ15世の時代、ヴェルサイユ宮殿を代表とするバロック様式の政治的な雰囲気に反発するように、より開放的な様式を求める動きが起こりました。 こうして生まれたのが「ロココ」です。
ロココ様式は、女性的な曲線を多用した軽やかな装飾が特徴です。
ロココの中心人物は、ルイ15世の公妾(公式に認められた愛人のこと)であるポンパドゥール夫人(1721年-1764年)。ポンパドゥール夫人は、美貌と知性を兼ね備えた女性で、フランスの政治・芸術・文化に大きな影響を与えました。ロココ様式はポンパドゥール夫人の好みを反映した様式とも言えます。
ロココ様式はバロックの反動で生まれたのです。女性主導の芸術の時代ですね。
前髪を束ねてボリュームを出す髪型を「ポンパドール」と言いますが、これはポンパドゥール夫人が由来という説があります。
ロココ時代の絵画
ロココ様式を代表とする絵画はいくつかありますが、特に有名なものは、以下の3点です。
- ヴァトー「シテール島の巡礼(船出)(1717年)」 ルーヴル美術館所蔵
- ブーシェ「ポンパドゥール夫人の肖像(1756年)」アルテピナコテーク所蔵
- フラゴナール「ぶらんこ(1776年)」 ウォレス・コレクション所蔵
この時代は、貴族たちの官能的な遊戯、享楽的な生活が中心に描かれました。
とくにロココ美術のはじまりと言われるのは、アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島の巡礼」です。こちらの作品は、元々、「シテール島の巡礼」というタイトルだったのですが、王立アカデミーに提出された際、「雅びな宴 (雅宴画) 」と称されます。
そして、風景画でもなく、歴史画でもない、貴族たちの遊戯を描く風俗画は”フェート・ギャラント(雅宴画)”というロココ時代を象徴するジャンルとなりました。
なお、現在では、「シテール島の巡礼」やプーシェの作品の多くはルーヴル美術館に所蔵されています。
大庭園や田舎など、自然の中に着飾った男女や恋人たちが優雅に散策している絵。貴族や富豪の非道徳的で耽美的な娯楽の世界を描いています。
ヴァトーから影響を受け、そしてポンバドゥール夫人の庇護を受けたフランソワ・プーシェ。そしてプーシェを「第2の父」と仰ぐジャン・オレノ・フラゴナールもロココを代表する画家です。
フラゴナールの「ぶらんこ」に関しては、山田五郎さんがYoutubeで考察しています。大変興味深い動画ですので、機会があればご覧になってみてください。
ロココ様式の建築・インテリア
ロココ様式の建築は、バロック建築の装飾を継承しています。豪華絢爛という点では同じですが、バロックのように威圧的ではなく、植物の葉のように自由であり優雅で繊細な印象に仕上げています。ただし、ファサード(外観)には大きな特徴が見られず、バロック建築の延長として位置づけられています。
バロックは教会や宮殿といった大ホールを飾ったのに対して、ロココは小部屋などの貴婦人の内装を装飾するイメージです。
ロココ建築として有名なのは、ガブリエル=ジェルマン・ボフランが監修・制作したオテル・ド・スーピーズの「楕円形の間」です。白地に金の曲線装飾が建築の構図を覆い隠し、大きな窓とシャンデリアで光あふれる空間を演出しています。
オテル・ド・スーピーズの外観はこのような感じ。建築されたのは、1705-09年とロココが始まる前ですので、外観はバロック建築の様相です。
なお、スービーズ館は現在、フランス国立中央文書館となっています。ジャンヌ・ダルクの手紙やルイ16世とマリー・アントワネットの遺書なども所蔵さている貴重な資料館です。
また、ルイ15世がポンバドゥール夫人のために建設した小トリアノン宮殿(プチ・トリアノン)も内装がロココ様式です。
この宮殿は、マリーアントワネットが居住することになりました。
ロココ様式のインテリア
Title: Settee (part of a set) Artist: Frame by Nicolas-Quinibert Foliot (1706–1776, warden 1750/52) Manufactory: Tapestry by Beauvais Designer: after designs by Jean-Baptiste Oudry (French, Paris 1686–1755 Beauvais) (Director of Beauvais: 1726 – 1755) Date: ca. 1754–56 Culture: French, Paris Medium: Beechwood, gilded Dimensions: Overall: 43 1/8 × 92 × 43 in. (109.5 × 233.7 × 109.2 cm) Classification: Woodwork-Furniture Credit Line: Gift of Martha Baird Rockefeller, 1966 Accession Number: 66.59.1
ロココ様式のインテリアのキワードとなるのが「オルモル」と「カブリオールレッグ(猫足)」です。
オルモルは、水銀を使用してブロンズ(青銅)や真鍮(ブラス)などの金属に薄く金箔を貼る技法です。この金メッキを施す技法は、職人が水銀中毒でなくなってしまうなど、事故が起きたため衰退していきます。
カブリオールレッグ(猫足)は、まるで猫のように優雅に湾曲した脚です。イギリスでは、アン女王(1665年2月6日 – 1714年8月1日)の時代に見られたためクイーン・アン様式と言われます。
また、他の特徴としては、白やパステルカラーなど、彩度が低く明度が高い色彩が使用されています。
現在のロココ調と言われる家具やデザインの特徴
西洋の貴族世界は、ロココの時代をイメージする方も多いのではないでしょうか。例えば、日本では「ヴェルサイユの薔薇」の世界観がまさにロココです。
ただし、現在のロココは、当時とは時代や価値観が大きく異なるため、生地やデザインが大きく変化しています。19世紀に「ロココリバイバル」がありましたが、現在はさらに進化していると言ってよいでしょう。
例として、以下の特徴を持つものはロココ調と言えます。
- 女性的で開放的である
- 豪華絢爛である
- カブリオールレッグ(猫足)である
- 曲線が多用されている
- 白や金、パステルカラーが使用されている
- 動植物、C字S字の文様が使用されている
とはいえ、現代のロココはバロックの様相を除いて、よりガーリーになってきています。ですので、厳密に定義せず「マリー・アントワネットっぽい」「お姫様っぽい」「貴族っぽい」ものは、ロココ調と柔軟に考えるのが良いと思います。
ロココが衰退し、理性の新古典主義へ
貴族の華やかな暮らしの一方で、1748年にポンペイ遺跡などが発見されたことにより、理性と合理性を重んじる「新古典主義」のはじまりが見られました。また、享楽的なロココ様式は、啓蒙思想家のヴォルテールなどに批判されます。
このときのフランスは、ルイ14世がナントの勅令を廃止して富裕層の亡命者が増加、ルイ15世時代の度重なる戦争、イギリスの産業革命により、財政難に苦しみます。
その上で、貴族たち上流階級が退廃的な生活を送っていたため、それに市民が反発し、フランス革命(1789年)が起きます。
そして、巨大な権威を表すバロック様式、贅沢や堕落を表すロココ様式への反発から、合理的な古代ギリシアを理想とする新古典主義が主流となります。
それでも愛され続ける普遍的なロココ
フランス革命時に拒絶されたロココですが、その後、18世~19世紀にロココのデザインを再評価する「ロココリバイバル」が起きます。また、ミュシャを代表とするアールヌーヴォー芸術のなかでも、バロック・ロココ時代の曲線美は活かされています。
またそこから時が経った現代でも、ロココ様式のファンは多くいます。令和に、昭和時代の文化や音楽を再評価するリバイバルが起こっているように、もしかしたら、またいつかロココ様式がリバイバルする日がくるのかもしれませんね。
以上、ロココ様式の解説でした。ロココ様式に興味を持った方々に少しでも参考になれば幸いです。
主要参考文献一覧
参考文献;
木下康彦,木村靖二,吉田寅『詳説世界史研究』山川出版社,2002年
海野弘『ヨーロッパの装飾と文様』パイインターナショナル局,2023年
高階秀繭,中垣信夫,松田洋一『西洋美術史』美術出版社,1990年
早坂優子『鑑賞のための西洋美術史入門』視覚デザイン研究所,2012年
早坂優子『ヨーロッパの文様辞典』視覚デザイン研究所,2021年
鶴岡真弓,磯部直希,美馬弘望月規史『ヨーロッパの装飾文様 美と象徴の世界を旅する』東京美術,2020年
浜本隆志『ヨーロッパの装飾文様』河出書房新社,2022年
佐藤達生『西洋建築の歴史 美と空間の系譜』河出書房新社,2014年
鳥居徳敏「グロテスクgrotesqueとロカイユrocaille- 建築における洞窟空間の系譜 –」
野口栄子「ロココ絵画にみられる日常性の契機について」
メトロポリタン美術館
ルーヴル美術館
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